前回のブログを書いてから、「なんであんなことを書いてしまったのだろう?」と自問していました。
前回のブログ
「答えがない時代を生きる」
私は、自分が書きたくなったことをブログにつらつらと書いていて、その行動を「書くことによってすっきりする」行為なんだなあ~と解釈していました。
昨晩、眠れずウトウトと考える時間がありまして…
(実は、ぎっくり腰の一歩手前の腰痛で、姿勢が限られてしまって寝心地が悪かったです 涙)
私自身が不安定なんだ…不安があるから、ああいう風に力を入れたことを書いてしまったんだなあと思い至りました。
平常心で、淡々と過ごそうと思っていました。
コロナウィルス対策のためにとられた仕事の変化にも自分ができることをやるのみと取り組んでいます。
ちょうど、前の週にトイレットペーパーとティッシュペーパーを買ったばかりで、騒動に巻き込まれることも回避できました。
マスクのストックもあと1箱ちょっとあります。
(新型インフルエンザの時にマスクがなくなって困ったので、1月下旬からドラックストアに行くたびに一箱買っていたのです。)
いよいよなくなったら、手作りマスク作ってみます。
だから、自分は、冷静にコロナウィルス対策に取り組んでいる…と思っていました。
でも…
やっぱり、流れてくる情報を気にしたり、(見極めようとしているつもりで)
いろいろな日々のあたりまえのことがなかったりするのが(研修会で皆様にお会いするとか、 恒例の同窓会的なランチ会ができないとか、お彼岸に実家へ帰って母や兄弟に会うとか、楽しみにしている習い事へ行けなかったりとか、他愛のない出来事です)こたえてきているようなのです。
ウトウトしながら、何とも言えない寂しさのような気持ちを感じたりしていました。
日常、当たり前だと思っていたことができない…意外とじわじわとこたえるものですね。
身をもって実感しています。
皆さんも、そして学校へ行けない子供たちも、このような感覚を持ち始めているのかもしれないな…と思います。
(自分や家族が)コロナウィルスにかかって、重症化したらどうしよう…という不安より、これからの日常はどうなっていくのかな?いつまで続くのかしら?経済は大丈夫かな?世界はどうかわるかな?というような不安のほうがじわじわときているのを実感した朝でした。
だから?
結論はありません 笑
不安な皆さん。私も一緒です 笑