7年前、脳梗塞で入院したときのことを思い出してつづります。
書けるようになるまで、7年かかりました。

思いも寄らなかった脳梗塞でした

頭が痛い...おかしい...
と思ってから、一晩たった朝に入院しました。

脳梗塞の記憶 その1

病院へも行ったのですが、はじめは脳梗塞とはわからなかったのです。
完全に詰まった脳梗塞ではなく、少しだけ流れていたので、徐々に毛細血管に血液がいかなくなり、麻痺が出始めました。
だんだん、飲み込めなくなり、水分を取ろうとしてもむせて飲めなくなりました。
朝には、ろれつが回らなくなっていたようです。
自分的には、話は出来ていると思いましたが、話し方がゆっくり間延びしていたようです。
他の人が聞いたら、おかしい...とわかると思います。

MRI検査の結果、脳梗塞で入院ということになりましたが、検査前には先生も
「重い偏頭痛でこのような症状になる人もいるから」
と言ってくれていました。
(子供のスポーツの関係で週末は一緒に試合の応援をするお医者さんを頼りました。偶然にも大きい病院の脳外科医!)

それくらい、年齢的にまさかの脳梗塞でした。
ママさんバレーをやっていたし、標準的な体重だし、血圧や糖尿病の持病もなく、健康に見えていたと思います。

頭痛がはじまったときから、いつもと違う...おかしい...と思いました。
でも、脳梗塞だと思いつかなかったです。
それくらい脳梗塞は、私にとって、とおい(つもり)の病気でした。
偶然にも、脳外科のお医者さんが身近にいたのが幸いでした。

朝の7時半には病院で見ていただけて、そのまま検査、入院することができました。
入院して、すぐ点滴治療が始まりました。
点滴は、詰まりを流すお薬だと思います。
少しでも早く、流したほうが脳へのダメージが少ないわけです。
よかったです。

意識があったり動けたりしたので、
知り合いの先生がいなければ外来に行っていたんだろうと思います。
お昼頃...もっと遅くに治療が始まっていたかしら...そう思うと今の自分はいなかったかも、もっと重い後遺症が残ったかもと思います。

脳梗塞...頭に入れておいてくださいね。
意識があっても、麻痺がでたりしておかしいときは、一刻を争うので、救急車を呼んでいいと思います。
治療は早いほうがいいのです。

もう、流動食しか食べられないのかなあ...とぼんやり思った

個室に入院しました。
個室治療が必要な患者だったわけです。
脳梗塞の急性期です。
命にかかわる事態ということでしょう。

看護師さんが、
「〇〇さん、大丈夫ですよ。きっと元にもどりますよ。」
と励ましてくれました。
その励ましを聞いて、ぼんやりと、(わたし、大変な事になっているんだなあ)と思ったのを覚えています。

意識はしっかりしていて、仕事関係のメールを打ったりはできました。
(事情説明のメールです。少しの時間だけです。)
打ちながら、(メールが打ててよかったなあ...)と思いました。

麻痺が出たのは、左半身の感覚麻痺、右顔面の麻痺、嚥下麻痺でした。

鏡を見ると、右顔面に違和感がありました。
水が飲めないのでトロメリンというものをいれて、とろみをつけて、嚥下できない右側の食道をふさぐように左を向いて飲み込みます。
便座に座ると左側になんの温かさも感じないのが不思議でした。

もう私、一生流動食しか食べられないのかなあ...とぼんやり思って悲しかったのを覚えています。

あの日の記憶は、やっぱりぼんやりしています。
脳に血がめぐっていなかったのかなぁ(笑)

入院は、3週間でした。

長くなるので入院生活はまた次回、思い出して書きます。
でも、後遺症の事は気になると思いますので記しておきますね。

結局、今の私は、左半身の感覚はすこし鈍くなって、いつもぴりぴりした痺れを感じますが、運動機能は大丈夫です。(入院当初から運動機能は問題なし)
あっ、でも、感覚が鈍いと言っても便座に座った時やお風呂に入ったときには、違和感なく温かさを全身で感じることが出来ています!嬉しい事です。

鏡を見ても右顔面の違和感は感じません。嬉しいです。

飲み込みも、他の人よりはしずらいのかもしれませんが、食事で不自由を感じる事は全くありません。嬉しいです。

見た目はまったく元通りになることが出来ました。

当時のことを思い返して、今を考えると、感謝と幸せをつくづく感じることが出来ましたね(笑)